死因はロケットボールでの接客による飲み過ぎか?
元阪神投手の安達智次郎さん(享年41)が7日に肝不全のため亡くなり、8日に神戸市内の「シティホール高速長田」でお通夜がしめやかに営まれました。阪神時代の同僚の亀山つとむ氏や、安達さんの翌年のドラフト1位の藪恵壹氏、オリックス・北川打撃コーチなど約350人が参列し故人との別れを惜しみました。
1軍登板なしでも印象深い安達智次郎さんとは?
1992年のドラフト会議で松井秀喜(元米大リーグ、ヤンキース)の外れ1位として阪神タイガースに入団。皮肉にも阪神と巨人は安達氏をドラフト直前に上位指名を予告するほど期待度が高かったのですが、いざドラフトではその両チームが松井氏を指名して、抽選の結果、阪神が外れ1位として安達氏の交渉権を得ました。大型左腕として将来のエースと期待されたが、残念ながら1軍登板はなかったです。
2年目から制球難に苦しみ、フォームを変えたりしましたが、逆に持ち味のスピードボールが投げれなくなり、一度は外野手に転向しましたが、野村克也監督が就任すると、「投手向きの身体」を見抜き、投手再転向を勧められます。しかし一軍出場はなく99年に現役引退。戦力外通告を受けてから近鉄への移籍話があったそうですが、「阪神タイガースのファンに戻って応援する」と引退を決意したそうです。2000年の途中からは3年間、阪神で打撃投手のアルバイトとして阪神に復帰しました。
安達智次郎さんの阪神引退後の主な活動
阪神を離れてからは神戸市の三宮で、RocketBall(ロケットボール)という焼酎バーを経営。元々、生田神社の近くでショットバーとしてお店を開いたのが営業の始まりです。ロケットボールはボトルキープ主体のバーとして営業され、安達さんが厳選して選び抜かれた焼酎が置いてあるお店だったそうです。名前の由来は、高校時代の恩師から、「ロケットのようなボールを投げろ」と言われていたことがキッカケでした。
肝臓の疾患で入退院を繰り返していたらしいのですが、2015年12月のギリギリまで接客を続けていたそうです。twitterでは、お店が無くなることを心配している常連客もいるみたいですね。
安達智次郎さんのご冥福をお祈り申し上げます。